震災について 3 【記録し伝えること】

阪神大震災が起きてから、大学が休校になりました。後期試験の日程もズレました。


神戸・兵庫の友人の安否は友人伝いに知ることはできましたが、顔をみるまで声を聞くまでなんだか落ち着かない日が続きました。


東大阪にあったわたしのワンルームマンションも校舎もヒビが入っていました。よく崩れなかったな、、と。それを思うと、神戸の惨状はとてもひどいものだろうと想像できました。


わたしの中に、ふつふつとどうしようもない感情が沸き起こってきました。現地へ行かなければならない。そして、記録しなければならない。という、青二才の正義感からでした。


神戸へたどりつける交通機関を調べました。そして見つけました。

今から思い出してもどうやって神戸までたどり着いたのかも覚えてないくらいなのですが、わたしはカメラを片手に本当に大地震で崩壊した神戸の地にたっていました。


神戸の現状はひどかった。見るに堪えられるものではなかった。


記録をし、伝えなければならないという正義感から動いたわたしの身体は現状を受けいれることもできず、まともに写真を撮ることもできませんでした。


そう。全然役に立たなかったし、今、この記録をし後生に伝えるという仕事は私の役目ではなかったのです。


なぜなら、発信する手段をもっていなかったからである。


今でこそネットを通して、個人でも色々なことを発信、記録することはできるけれども、その当時学生の私ができる社会貢献などありませんでした。どこかの団体組織を通したボランティア団体で活動する以外。


つづく。