震災について 4 【写真ができること】

「見せ物じゃないんだぞ!!!帰れ!!」


カメラを片手に神戸にいた私は、崩れた家を前に立ちつくしている被災者の方から怒鳴られました。


胸が引き裂かれる思いでした。


なんて浅はかで迷惑な行動をとってしまったのだろうか・・・。つらかった。私が写真を撮ったどころで、この神戸は復興しないのである。被災者の心は癒えるはずもないのである。そんな思いを胸に孤独で、無力を感じるだけだった。



それから16年。


この日本でまた大きい地震が起こった。M9.0、こんな数字は見たことのないものでした。そして、大津波と福島の原発


阪神大震災から学んだわたしは、現地へ行っても私が役に立てることなどないことを知っていました。でも、心のなかでふつふつと湧き出る思いは同じでした。強い気持ちは何も変わっていないのである。


炊き出しに参加したいとか子連れで参加できるボランティアはないかなど、空回りの思考がグルグルと回り、考え、悩みました。自分が出来ることを。


そんなわたしを前に、津波地震の映像に怯え荒れる娘・・。わたしは母親としていちばん大切な仕事を忘れてしまっていました。それに気づいてから、わたしの出来ることは、できるだけ子どもを怖がるような環境をつくらないこと、不安になるような材料をつくらないことでした。


メディアが子どもたちにあたえる影響の危険さを知りました。


震災直後に被災地で必要とされているものは、命をつなぐ生きる上で最低限のもの。ライフライン。水、食料、医療、薬、防寒具、暖、テント、など。そこに、写真や音楽、絵画などは必要とされていません。


東の人たちが苦しみ厳しい状況にある中、西に住む私たちがレジャーなどに行って楽しんで良いものだろうか。なんて罪悪感を感じることさえありました。それよりも、今回に関してはそんな気持ちにさえなかなかなることができなかった。


それから、2ヶ月が過ぎ。


まだまだ、復興の階段は始まったばかりです。現地の写真を撮り伝える人は、各方面のプロの方や報道カメラマン、ボランティア活動をされている方、そして現地の方たちのみであると私は思っています。決して、外の人が撮るべきものではないと私は考えています。


今回震災から免れた関西の人たちがするべきことは、他にあるはずだから。


子供を持つ親なら未来の日本の担い手となる子供たちを立派に育てること。そして今、日本の経済を担っている働き盛りのサラリーマンならその経済をたもつためにお金を動かさないといけないと思います。時間と体に自由がきく強い志をもった学生なら、ボランティア団体で活動に参加、など。各々の仕事が色々あるはずだと思います。


あれから時間が過ぎる中、音楽や写真、絵画ができる仕事も増えてくるかもしれません。そして、現在動いて復興の力となって行動を起こしているたくましい人たちを見習いたいと思います。


被災地のことを考え何かをすることは、他でもない自分たちを助けること。今後誰が被災してもおかしくない。その時のためでもあり、今自分たちが暮らしている日本のためなのであるから。


ふつうに暮らせることの幸せとありがたさを胸にありふれた毎日に感謝して、今できることをしなければならないと感じています。


そして、今もまだ被災地で苦しんでいる人がたくさんいることは決して忘れてはいけません。福島の現状もまだまだ緊張を許せない状況が続いています。命をかけそこで働いてくれている方たちがいます。わたしは今安全圏にいます。が、直後に感じた気持ちは維持し続けなければならないはずであると思っています。


自分に何かできることが見つかったときには、その時こそここぞとばかりにそれを発揮するべきチャンスなのかもしれません。


ネットとういう個人ツールを持った今の時代にできることはたくさんあるような気がします。16年前とは、情報量も手段の数も全然違います。小さいことからの点と点がつながった時大きな力になることを信じています。



おわり。